つぶやきは災いのもと!?

みなさんメリシャカ。 毎日ジメジメ蒸し暑いですね。仕方ないこととは言え、早く梅雨が明けて欲しいものです。
さて今回は言葉についてのお話。 昨年からtwitterというサービスが盛り上がりを見せていて、私も利用を開始してから1年が経ちました。皆さんの中にも、twitterを毎日活用されている方も、話題だから最近始めてみたという方も、始めたはいいけど、なんとなく放置してしまっている方もおいでるかもしれません。 私は日々、なんでもないことをブツブツ呟いたりするのに使ったり、あるいはいろんな人のつぶやきを見て楽しんでいるのですが、人のつぶやきをただ見ているというのもなかなか楽しいものです。 時には、いろんな議論がアツく交わされたり、貴重な講演の実況中継やまとめがなされていたり、情報を得る上でありがたいこともあったり、仏教や社会問題を巡る議論には、いろいろな考え方に私も刺激を受けています。

さてそんな便利なtwitterですが、弊害というか、自分にとって悪い影響を与える面もあるなと、1年使う中で感じるようになりました。
その悪い影響というのは、一つは、なんでも好きなことをつぶやけてしまう事です。私たちは基本的に、何かしら言葉にすることが大好きです。政治や経済、いろんな社会問題や人間関係や、日頃の鬱憤まで、誰でもいいから、話をして聞いてもらいたいという欲求があります。そういう時に、twitterは格好の道具になります。つまり、twitterというツールが、私たちを欲望を満たす役割を果たすとともに、誰かに話したい、聞いてもらいたいという欲求をさらに刺激する役割まで果たしてしまうのです。
まあそれは、twitterに限らず、ブログなどもそうなのかもしれませんが、気軽さが違います。何の手間もなく、思うことがつぶやける。それのどこが悪いの?と思われる方もおられるかもしれませんが、言葉というものは、時に大変恐ろしいものとなることがあります。

それが二つめの弊害です。つぶやきをする側としては、誰かにそれを読まれるということは、それほど意識しません。いや、対象を意識してつぶやくことも時にはありますが、不特定多数の人にそのつぶやきを見られることを思えば、自分の発言を誰に読まれているかを把握し切ることはできません。そういう状況の中で、ふとした、自分ではなんでもないと思うようなつぶやきが、読む人によっては、それを不快に感じたり、傷ついたり、腹が立ったりすることもあるように思います。言葉というものは不完全なものですし、twitterは文字数が制限されていますから、書き手と読み手の間で、言葉の理解にギャップが出てきてしまい、誤解が生じるということもあるでしょう。 つまり、私の何気ないつぶやきが人に嫌な思いをさせ、怒りを抱かせ、そしてその怒りが、どこかに連鎖していってしまう可能性があるのです。

その逆もまた当然あります。私もたまに、ですが、人の発言によって、嫌な思いをしたり、腹が立ったりします。特に、自分にも関係のある人や物事が、「〇〇なんてことはアホだ」などと、何の説明もなく、感情任せに非難されていたりすると、悲しいしムカつくし、機嫌を損ねてしまいます。それが自分の中だけで冷静に対処できればいいのですが、今度は自分が、憂さ晴らしにその感情に任せて書き込みをすることで、また誰かに不快な思いをさせてしまったり、自分の行動にその機嫌の悪さが出てしまって、周囲の人に嫌な思いをさせてしまうことにもつながりかねません。

このように、twitterというツールは、便利で楽しい半面、私たちの欲望を刺激し、そして、そこにつぶやかれる言葉によって、我々の感情を刺激します。それは悪い刺激ばかりではなく、向上に向かう刺激もあるでしょう。受け取る側の問題だ、という考え方もできますしね。けれども、言葉が広がりやすいということは、悪い刺激、悪い影響も広がりやすいということでもあります。

仏教では、私たちが発する言葉ということに対して非常に敏感です。仏教の教えの中には、私たちの言葉を正しくしなさい、という教えがたくさん見られます。例えば、八正道という、正しい生き方を示した教えの中には言葉を思いやりのある正しいものにしていく「正語」というものがあります。そして五戒の中には、嘘をつかない「不妄語戒」という定めがありますし、十善という教えの中には、不妄語、不綺語(ふきご)、不悪口(ふあっく)、不両舌(ふりょうぜつ)というものがあり、10の戒めの中に、4つも言葉に関する決まりがあります。 ちなみに、不綺語というのはお世辞や綺麗事、言葉を飾ることをしないこと、不悪口というのは人を罵ったり傷つけるような言葉遣いをしないこと、不両舌というのは、人を仲違いさせるようなことをしないということです。 またお釈迦様にいたっては、嘘をつかないことを徹底するために、約束すらされなかったと言われます。未来は何があるかわからないものですから、約束をして万が一その約束が果たせなければ嘘をついたことになるため、約束はされず、沈黙をもって了とした、と伝えられています。

 ではどういう言葉を我々は使えうように心がければよいのでしょうか。例えばお経の中には「和顔愛語」という言葉が出てまいります。これはにこやかな表情と、相手のことを思いやった優しい言葉を使いなさいということです。そして、無財の七施という、財産がなくても誰でもできる布施行の中には、愛語施(言辞施)という行いもあります。これも、人に対して、この言葉を発すると、相手はどう思うかということをしっかりと考えて、不快にさせるような言葉を使わないということです。

しかし、twitterのように不特定多数の人がいる場においては、全ての人に対してそれを実現することは難しいことでしょう。しかしそうだからこそ、そして簡単に自分の思いを書き込めてしまう場だからこそ、ほんの少しでも思いやりの心を持って言葉を吟味し、怒りをぶちまけたり、感情に任せて都合に合わないものを非難するようなことは、なるべく避けるほうが良いのではないでしょうか。 もちろん、人の言葉の刺激を受けるときにも、それに動じないことも大切になってくるでしょうけどね。

けれどそんなことを考えていたら、自由が束縛されてしまって、twitterが楽しく使えなくなる、twitterの良さがなくなってしまうという方もおられるかもしれません。あるいは、そんなことを思うなら、twitter自体を辞めれば済む話だという方もおられるでしょう。 しかし、この問題はtwitterというツールに問題があるのではなく、それを使う私たちの側の意識や心の問題です。ですから、twitterを自分にとってよりよいツールとするためにも、ほんの少しの思いやりの気持ちというものは、大切になってくるかと思います。

とまあ、こんなことを偉そうに書きながら、私自身も人を傷つけたり不快にさせてしまう発言をすることが少なからずあったり、人の言葉に過剰反応してしまうことがあるので、気をつけねばならないのですけどね。
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